あなたは広島カープを知っていますか?

広島

こんばんは、たくわんです!

それは、たくさんの人の支えがあったからこそ、広島東洋カープがあるのです!

昭和20年、8月6日、午前8時15分広島に原子爆弾が投下されました。

広島カープは、原爆から4年後、市民球団として広島に誕生しました。

監督は、石本秀一(いしもと ひでいち)

この石本監督が素晴らしい人でこの監督がいたから今のカープはあるのです。

 

昭和24年、広島にプロ球団を創設の行動を起こしたのは、地元出身の谷川昇さん。

谷川さんは従来のプロ野球球団が経営資金を大企業に募るのが常識であるなか、それを地元自治体の出資でまかなう計画。県民みんなのチームを作りたい。

谷川さんの熱い思いがオーナー起業を持たない、日本で唯一の市民球団を広島に誕生させました。

この常識破りは考えが、時代を変えたのでしょうか?僕も大切だと思っています。

 

チーム名は「カープ

鯉は広島市を流れる太田川の名産であり、滝を登る姿から

生命力の象徴。

石本監督、(52)監督として広島商業を甲子園優勝に4回導く。

 

その後プロ野球では、大阪タイガースに招かれ、2年連続日本一を達成と実績充分で、

野球人生の最後を故郷広島で咲かせることになります。

しかし、彼を待っていたのは、

・選手が誰もいない

・準備出来ているお金が少ない

3ヶ月後には開幕という状態です。

それから選手集め&銭集めがスタートします。

結果は、選手もお金も集まりませんでした。

 

それでも石本さんは、開幕ぎりぎりまで選手を集めます。

一方市民は昭和25年。

まだ防空壕バラックで生活する人達。

また食糧難を脱しても、配給された麦や雑穀を混ぜた質素なモノ。

庶民にとっての普及は、まだまだこれからでした。

 

カープはというと、

連敗地獄で十分な資金も食事もまともに取れない状態。

やがてカープが吸収合併されるという、事実上の解散という危機が訪れます。

石本監督の熱心な気持ちで1年続いたカープは借金が積み重なりすぎたために、解散を迫られました。

しかし、

「貧乏ながら戦い続ける球団を市民は、自らの境遇に重ねている。」

カープは広島の心」なくしちゃいけない。

という石本監督の思いもあり、市民から募金を募る、

市民の皆さんにカープの未来を頼むという方法をとります。

 

すると土壇場でカープ存続が決定し、

その後は、講演会を作り監督自ら、時には選手も出向いて市民に呼びかけました。

石本さんの情熱にを感じた市民達は、試合前に樽を設置して、広く募金を呼びかけました。

 

カープ名物「樽募金

昭和26年7月29日 支援学270万以上。

コーヒーが1杯30円の時代、現在の価値は1,800万円です。

~いかがでしたか?このように石本監督の熱い思い、それぞれの思いの結晶が今のカープだと言うことが分ります。

忘れてはいけないのが、広島市民の皆さんです。苦しいときも市民の応援してくださる力があったからこそのカープ

 

それだけ関係がカープと市民にはあるから、

地元広島県民には、親近感がとても強いのかもしれません。

庶民にとってつらいときのカープは希望の存在は、当時を生きる意味だったのかもしれません。そんな存在だったからこそ、カープの危機は国民みんなの危機としてとらえることができ、自然と助けあうどちらかがかけてもいけなかったかもしれません。

 

優勝間近で、地元にいながらあまりカープについて詳しく知らなかったので、今回は勉強出来て良かったです!

市民球団カープ、納得しました。(^_^)v

こちらの動画から見てみて下さい。ありがとうございます。

https://youtu.be/axe4fVKM7a8