あなたは広島カープの歴史を知っていますか?

広島
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こんばんは、広島出身のたくわんです!


広島カープは地元民として幼い頃からずーっと家で見ていたし、大人になっても変わらずに市民と共に一喜一憂する野球チームです。そんな広島カープの歴史について今回は書きたいとおもいます。


広島カープは現在、広島のみならず全国にたくさんのファンを持つ有名な野球チームになりました。喜びや活力を与え、これからもずっと地元民に愛され続けるチームだと思うし、カープは他球団とは違ってすごくファンに愛されるチームだと感じます。


カープは広島の心


数々の試練に立ち向かいながら、解散の危機を土壇場で乗り越えてきました。

戦後の市民は、貧乏ながらも戦うカープの姿に自らの境遇に重ねて見ていたのでしょう。カープを支えてくれたのは、他でもない広島市民の皆さんでした。

「カープはなくちゃいかん」という気持ちがあったからこそ、のちに市民に根付いた球団となったのだと思います。


監督は、石本秀一(いしもと ひでいち)

知れば知るほど魅力的な人物で、広島カープには素晴らしい人が携わってくれたことを知り、なんだか嬉しかったです!


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昭和24年、広島にプロ球団を創設の行動を起こしたのは、地元出身の谷川昇さん。

従来のプロ野球球団が経営資金を大企業に募るのが常識であるなか、それを地元自治体の出資でまかなう計画。県民みんなのチームを作りたい。

谷川さんの熱い思いがオーナー起業を持たない、日本で唯一の市民球団を広島に誕生させました。


チーム名は「カープ

英語で「鯉」を表すcarp。 鯉は広島市を流れる太田川の名産であり、滝を登る姿から

生命力の象徴される。原爆の悲劇から立ち上がろうとする広島にはぴったりの名前でした。


監督は石本監督(52)。

広島商業を甲子園優勝に4回導き、

その後プロ野球では、大阪タイガースに招かれ、2年連続日本一を達成と実績充分で、野球人生の最後を故郷広島で咲かせることになりました。


しかし、彼を待っていたのは、

  • 選手が誰もいない
  • 準備できているお金が少ない


なか3ヶ月後には開幕という状態だったのです。

それから選手集め銭集めがスタートしますが、結果は、選手もお金も集まりませんでした。


それでも石本さんは、開幕ぎりぎりまで選手を集めます。


昭和25年市民は、

まだ防空壕バラックで生活する人達。

食糧難を脱しても、配給された麦や雑穀を混ぜた質素なモノを食べていて、

庶民にとっての普及は、まだまだこれからでした。


その頃カープは、

連敗地獄で十分な資金も食事もまともに取れない状態です。


やがてカープが吸収合併されるという、事実上の解散という危機が訪れます。

石本監督の熱心な気持ちで1年続いたカープですが、借金が積み重なりすぎたために解散を迫られました。


しかし、

「貧乏ながら戦い続ける球団を市民は、自らの境遇に重ねている。」

「カープは広島の心」なくしちゃいけない。


という石本監督の思いもあり、市民から募金を募ります。

市民の皆さんにカープの未来を頼むという方法をとります。その結果

土壇場でカープの存続が決定し、

その後は講演会を作り監督自ら、時には選手も出向いて市民に呼びかけました。


石本さんの情熱を感じた市民達は、試合前に樽を設置して、広く募金を呼びかけました。



カープ名物「樽募金

昭和26年7月29日 支援学270万以上。

コーヒーが1杯30円の時代、現在の価値は1,800万円です。


石本さんは市民に直接呼びかける演説を行ない、これを手始めに怒濤の講演会作りをスタートさせた。

講演会の話を聞けば、石本さんはどこへでもでむいた。時には試合を終えたばかりの選手を引っ張りだした。


この間石本さんは中国新聞にカープ支援を呼びかける記事を執筆した。


石本さんの情熱をうけとった市民達は、今後は自ら試合前の球場に樽を設置して広く募金を呼びかけました。これがカープ名物「樽募金」です!


そして昭和26年7月29日。後援発会式で 

  • 後援会員 13,141
  • 支援金額 2,715,784円


に達し、市民からカープに託されました。

このように石本監督の熱い思い、それぞれの思いの結晶が今のカープだと言うことです。


忘れてはいけないのが、広島市民の皆さんです。苦しいときも市民の応援してくださる力があったからこそいまのカープがあるのです。


なぜこんなに地域に強く根付いたチームなのか?これを見たら分ると思います。市民ととも苦しいときも一緒に乗り越えてきた希望の存在としてカープはありました。

カープは広島の心。貧乏ながらも戦う姿を自らの境遇と重ねている。



市民にとってつらいときのカープは希望の存在で、当時を生きる意味だったのかもしれません。だからこそ、カープの危機は国民みんなの危機としてとらえることができ、自然と助けあうことができたのだと思いました。


地元にいながらあまりカープについて詳しく知らなかったので、今回は詳しく知れて良かったです!

市民球団カープ。こんなにたくさんの人から愛される訳が納得できました。(^_^)v

こちらの動画からが見れます。


ご覧いただきありがとうございます。

https://youtu.be/axe4fVKM7a8

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